オアスペ竹内文書:日本超古代史を語る奇書と霊的文書の関係
- UR
- 4月1日
- 読了時間: 9分
日本の超古代史を記したとされる奇書「竹内文書」。そして、19世紀アメリカで自動書記によって書かれたとされる霊的聖典「オアスペ(Oahspe)」。一見すると、生まれた国も時代も内容も全く異なる、この二つの不思議な文書。しかし、インターネットの世界を覗くと、「実はこの二つ、何か関係があるのでは?」「共通の秘密を共有している?」といった囁きが、まことしやかに語られているのを目にします。
「オアスペ竹内文書」
このキーワードで検索してたどり着いたあなたも、きっとその謎めいた関係性に興味を惹かれているのではないでしょうか?この記事では、まず「竹内文書」と「オアスペ」がそれぞれどんなものなのかを分かりやすくおさらいした上で、両者の間に本当に繋がりはあるのか、どこが似ていて、どこが決定的に違うのか、そしてなぜ関係があると言われるのか、その真相に迫ります。歴史の闇に隠された(かもしれない)奇妙なリンクを探る旅へ、ようこそ。

目次
超ダイジェスト!竹内文書とは?
「竹内文書」は、昭和初期に竹内巨麿(たけうちきよまろ)という人物によって公開された、日本の「正史」とは全く異なる歴史を記したとされる文書群です。

主張される起源
約1500年前に武内宿禰(たけうちのすくね)の孫が、さらに古い「神代(じんだい)文字」で書かれた文献を書き写したものだとされています。
驚愕の内容
日本が世界の中心であり、神武天皇以前に何十代、いや何億年にもわたる超古代天皇が存在したと主張。モーゼやキリスト、釈迦までもが日本を訪れ、天皇から教えを受けたと記されています。失われたムー大陸やアトランティス大陸への言及、空飛ぶ船「天空浮船(あめそらふね)」の記述なども含まれ、その内容は壮大かつ奇想天外です。
学術的な評価
残念ながら、多くの専門家(国語学者、歴史学者など)からは、「偽書(ぎしょ)」であるという評価が定説となっています。使われている言葉が近代的であること、神代文字の信憑性が低いこと、内容を裏付ける考古学的証拠がないことなどが理由として挙げられます。竹内巨麿が創始した新興宗教「天津教」の聖典とされている点も、客観的な評価を難しくしています。
とはいえ、その常識破りな内容とミステリアスな出自は、一部の研究家やオカルトファンを強く惹きつけ、今なお熱心な支持者を持つ文書です。
もう一方の奇書「オアスペ」とは?
一方の「オアスペ」は、1882年にアメリカで出版された、こちらも非常にユニークな「聖典」です。
著者とされる人物
ジョン・バロウ・ニューブローという歯科医師。彼は、この本の内容は天使たちの霊感による**「自動書記」**(自分の意思とは関係なく手が動いて文字を書く現象)によって書かれたと主張しました。
壮大な内容
宇宙の創造から始まり、7万8千年にも及ぶ人類の霊的な進化の歴史、目に見えない霊的世界の構造、失われた大陸「パン」の存在、そして**「ジェホヴィ」**と呼ばれる唯一の創造主からのメッセージなどが、900ページを超えるボリュームで詳細に記述されています。菜食主義や平和主義といった倫理的な教えも含まれます。
信奉者と評価
オアスペの教えを信じる人々は「フェイスリスト(Faithist)」と呼ばれ、現在も小規模ながらコミュニティが存在します。しかし、竹内文書と同様に、主流の学術界からは歴史的・科学的根拠に乏しいとして批判的な見方が多く、「偽史」の一つと見なされることもあります。19世紀アメリカのスピリチュアリズム(心霊主義)運動の中で生まれた、特異な宗教文書として位置づけられることが多いです。
こちらもまた、その神秘的な成り立ちと壮大な世界観が、一部のスピリチュアルな探求者を惹きつけている書物です。
【本題】竹内文書とオアスペ
さて、ここからが本題です。全く異なる背景を持つこの二つの文書、なぜ関係があると言われるのでしょうか?まずは、似ている点と、決定的に違う点を比較してみましょう。
似ている点(とされる点)
超古代史への言及:どちらも、現代の歴史学が認めるよりもはるかに古い時代の出来事や、失われた文明(ムー大陸やパン大陸)について触れています。
既存の歴史観への挑戦:正史とされる歴史記述に疑問を投げかけ、オルタナティブな(もう一つの)歴史観を提示しています。
神聖な存在の関与:人類史の背後に、神々や天使といった超自然的な存在の導きや介入があったとしています。
特異な成り立ち:一方は神代文字からの書き写し、もう一方は自動書記と、どちらも通常の執筆とは異なる、神秘的な起源を主張しています。
確かに、テーマ性として「既存の枠組みを超える壮大な物語」「隠された古代の叡智」といった共通の雰囲気を持っていると言えるかもしれません。しかし、決定的な違いも数多く存在します。
比較項目 | 竹内文書 | オアスペ |
起源国・文化背景 | 日本・神道/神話ベース | アメリカ・キリスト教/スピリチュアリズムベース |
成立(公開)時期 | 20世紀初頭 | 19世紀後半 (1882年) |
中心思想 | 日本中心の超古代史、天皇の神聖性 | 宇宙全体の霊的進化、普遍的な創造主ジェホヴィ |
神概念 | 日本神話の神々、超古代天皇 | 唯一神ジェホヴィ、天使 |
宇宙観 | 神話的、詳細不明瞭 | 多層的な霊界構造(コーパー、エスなど) |
人類史のスケール | 数億年~数十億年? | 約7万8千年~ |
失われた大陸 | ムー大陸、タミアラなど(名称諸説あり) | パン大陸(Whaga) |
主要な倫理 | (明確な記述は少ない) | 菜食主義、平和主義、奉仕 |
学術的評価 | 偽書説が有力 | 疑似歴史、批判的評価が多い |
このように比較すると、両者の類似点は表面的・テーマ的なものに留まり、その根幹となる思想、世界観、歴史認識は全く異なっていることが分かります。竹内文書が極めて日本的な視点に立っているのに対し、オアスペはより普遍的(あるいは西洋的)な霊性や宇宙観を提示しています。
互いに言及してる?直接的な繋がりの証拠
では、どちらかの文書が、もう一方の文書について直接言及している、といった繋がりはあるのでしょうか?調査の結果、オアスペの本文や、その著者ニューブローに関する資料の中に、竹内文書や日本の神話について言及した箇所は見当たりませんでした。オアスペが書かれたのは19世紀のアメリカであり、竹内文書が日本で公になったのは20世紀に入ってからです。地理的にも時代的にも、ニューブローが竹内文書を知り得た可能性は極めて低いと考えられます。
逆に、竹内文書の研究者や支持者の一部が、オアスペを引き合いに出して類似性を指摘することはあるようです。特に、失われた大陸の記述や、超古代における神々の役割といった点で、共通項を見出そうとする動きが見られます。しかし、これも決定的な繋がりを示すものではなく、単に「既存の歴史観に収まらない壮大な物語」という共通のテーマ性から類推されているに過ぎない可能性が高いでしょう。
結論として、竹内文書とオアスペの間に、直接的な影響関係や繋がりを示す確かな証拠は、現時点では存在しないと言えます。
なぜ「関係がある」と囁かれるのか?その背景
直接的な繋がりがないにも関わらず、なぜこの二つの文書が結びつけて語られることがあるのでしょうか?或いはなぜ『オアスペ竹内文書』と検索する人が一定数以上いるのか?その背景には、いくつかの要因が考えられます。
時代の空気(19世紀末~20世紀初頭の思潮)
両文書が生まれた(あるいは公になった)時代は、世界的に神秘主義やオカルティズムへの関心が高まっていた時期でした。心霊主義(スピリチュアリズム)、神智学、アトランティス伝説、ムー大陸説などが流行し、「隠された古代文明」「失われた叡智」といったテーマが人々の想像力を掻き立てていました。竹内文書もオアスペも、こうした時代の空気の中で生まれ、共通のテーマに関心を持つ人々に受け入れられた側面があるのかもしれません。つまり、直接的な繋がりはなくとも、同じ「水源」からインスピレーションを得ていた可能性は考えられます。
インターネット時代の情報拡散
現代では、インターネットを通じて、ありとあらゆる情報が瞬時に繋がり、混ざり合います。その中で、竹内文書とオアスペの表面的な類似点だけが切り取られ、「実は繋がっているのでは?」という憶測が生まれやすくなっています。特に陰謀論やオカルト系のコミュニティでは、異なる情報を結びつけてより壮大な「隠された真実」の体系を構築しようとする傾向が見られます。
「もう一つの歴史」へのロマン
公式の歴史や科学だけでは説明できない世界の謎、教科書には載っていない「真実の歴史」を知りたい、という欲求は、多くの人が持つものです。竹内文書もオアスペも、まさにそうした**「オルタナティブな世界観」**を提供してくれます。既存の枠組みに疑問を持つ人々にとって、これら二つの文書が、たとえ内容は異なっていても同じように「隠された歴史への扉」に見え、そこに何らかの関係性を見出したくなるのかもしれません。
つまり、両者の関係性は、実際の繋がりというよりも、**時代背景や現代の情報環境、そして人々の「知りたい」という欲求が生み出した「物語」**である可能性が高いと言えるでしょう。
オアスペ竹内文書:それぞれの魅力と危うさ
「竹内文書」と「オアスペ」。この二つの奇書は、直接的な関係性は薄いものの、共に既存の常識や歴史観に大胆な疑問符を投げかけ、人々の想像力をどこまでも広げてくれる、という点で共通の魅力を持っています。
竹内文書は、日本の神話と歴史の深淵に潜むかもしれない、壮大な「if=もし」の世界を見せてくれます。オアスペは、宇宙と霊的世界、そして人類の未来に関する、他に類を見ない独自のヴィジョンを提示します。どちらも、それぞれの文化的背景の中で生まれ、信奉者にとっては重要な精神的支柱となっています。
しかし同時に、両文書はその信憑性の低さや、学術的な根拠の欠如という側面も持ち合わせています。その内容を鵜呑みにすることは歴史認識を歪めたり、非科学的な思考に陥ったりする危険性も孕んでいる事も忘れてはいけません。大切なのは、これらの文書が持つ「物語」としての魅力や、既存の価値観を問い直すきっかけを与えてくれる点に価値を見出しつつも、事実とフィクションを冷静に見極める視点を失わないことではないでしょうか?
「オアスペ竹内文書」と検索してこの記事にたどり着いたあなたは、きっと世界の謎や隠された知識への強い探求心をお持ちのはず。その探求心を大切にしながら、情報の真偽を見抜く目を養い、あなた自身の「真実」を探求していく…それこそが、これらの奇書との最も健全で、そして刺激的な付き合い方なのかもしれません。
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