この記事に辿り着いたあなたはきっと、現在「本人訴訟」という選択肢を強いられている又は自ら選択している。その2択なのではないかと思う。
最初に述べておくが、この記事は法的アドバイスでもなければ弁護士が語る専門的・形式的知識でもないし本人訴訟をお勧めしている訳でもない。一つ言えるのは、弁護士ではない素人、つまりあなたと同じ立場からの視点であること。すなわち「時間」と「根気」さえあれば、誰でも法廷に立ち、弁護士と対峙し、自身の手で真実と正義と掴み取れるチャンスがあるということだ。

真実を追求する姿勢は、時に利益を追求する弁護士にも勝る
目次
1. 本人訴訟の実情と筆者の心情
日本司法を見ると現実的に、
「弁護士に依頼すると赤字」
「親身になってくれる弁護士がいない」
「無料相談は所詮無料情報」
など、自分の権利や真実・正義を守るには『本人訴訟』が最善の選択肢である場合、又はそうせざるを得ない状況が多い。そんな時、自分の権利を守れるのは「自分だけ」。必死に守ってくれるのも「自分だけ」。それがこの無情な現実世界の鉄則だ。法律用語で言えば「当事者主義」とも言う。本質的に言えば「正義の不在」とも言える。
日本は、全ての責任を当事者に押し付けている。これにはメリットもあるが、個人的には残酷だと思う。
(1)平等でも公正でもない
司法は平等や公正といった理念を掲げてはいるが、実際に平等などが一定以上担保されているのは"審理"だけである。審理とは、当事者が提出した証拠や主張に基づき、裁判官等が取調べを行い、事実関係・法律関係等を明らかにすること。つまりこの審理以前の段階で、圧倒的不平等や不公正が既に顕著に顕在化している。
例えば、経済力のある人間は優秀な弁護士に依頼できる一方、一般人や困窮した人は本人訴訟をせざる得ない状況に半強制的に追い込まれる事も多い。すなわち、真の犯人=加害者が経済的に豊かであった場合、罪のない被害者=弱者が正義や真実と共に負ける、そのような事態が平然かつ公然と発生するのが日本司法の現実であり見過ごすことの出来ない欠陥だ。勿論全ての事案がそうとは言えないし、近代化の影響で弱者が時に強者を追い詰める事も増えてきたのもまた事実。しかしそれらは圧倒的マイノリティであり、一般的には未だ、社会的身分や立場・経済的優位性がそのまま司法にも影響を及ぼしている。審理に至るまでが不平等かつ不公正な時点で、果たしてそれが平等かつ公正な審理に繋がっているのだろうか?
(2)スポーツでは考えられない
分かりやすく例えるならばスポーツを引用すれば話しが早い。野球であれサッカーであれバスケであれ、どのスポーツにもルールが存在し、競技する以前の段階で平等が一定以上に担保・保障されている。最も分かりやすいのが格闘技だ。格闘技は一般的に、数キロ単位で体重別に階級が分けられ、正々堂々と闘う事が求められている。試合前には徹底した体重測定なども行われ、体重が超過した一方にはペナルティが課せられたり試合が中止になる事も珍しくない。中には双方合意のもとで無差別級などの特別試合が行われる事もあるが、あくまでも双方が合意の上だ。最も強調したいポイントは、スポーツは当事者が「プロVSプロ」である点にある。しかし司法の場合は、BreakingDownのような「プロVS素人」の構図が普通に起こり、当事者の合意など関係ない。しかも司法におけるプロ(ここでいう、経済的強者など)は金で味方を増やしたり権力でルールをかいかぐってきたり、汚い行為も厭わない人間=正々堂々とは乖離した利己的な人間が多い。格闘技で極端に例えるなら、丸腰の自分VS剣を持ったコナーマクレガー&激昂した朝倉未来&ハーレーに乗った朝青龍&ハンマーを振り回す室伏広治。みたいな構図が普通に起こり得、誰からも注目されずそのまま実力行使で負ける。そんな事が罷り通っているのが日本の司法、私は身をもってそう実感した。
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しかし面白いことに、司法は何が起こるか分からない。実際にリング上で上記のような構図になれば、万が一にでも勝てる見込みはない。しかしリング上でなければ?例えばフィールドは日本全国で時間も無期限、相手がどこにいるのかも分からない状況など、場合によっては勝てる見込みが格段と上がる。
勿論「絶対に勝つ」意志や戦略がなければ不可能だが、諦めない姿勢が勝利の女神を味方につける。司法、本人訴訟もまさに、諦めない姿勢いわば執念に近い絶対的意志が求められる。相手がプロである以上、プロにはない視点・情報・戦略など、あらゆる手段で真実を追求し立証しなければならない。
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話しがズレたが実際、日本の民事裁判の多くは弁護士に依頼する人よりも自分で裁判に臨む人の方が圧倒的に多いのが実情だ(年間約7万件超)。弁護士の数は増え続けるのに、本人訴訟の数は減るどころか増える一方。背景には、日本人特有の "人に頼る事が苦手" などといった問題もなくはないが、最も大きな要因の一つは、弁護士に依頼するハードルが高い事が挙げられる。つまりお金、資本だ。結果、経済力が豊かな方が有利になる事も到底否めず、平等や公正とは言い難い完全な実力主義の側面も持ち合わせている。裁判官はスポーツでいう所のいわば審判。つまり審判は公正な判断を下すが、それ以前の実力や構図までは関与しないというのが「当事者主義」という事になる。であれば当然、不平等や不公正のまま審判が判断を下さざるを得ない状況が作り出されている。これは社会全体の問題でもあり、令和7年を迎えた21世紀の司法においては、デジタル化と並行して目先の最重要課題と言っても何ら過言ではないだろう。
2. 弁護士費用との比較衡量
弁護士に依頼すると、1時間3千円〜1万円は下らないだろう。さらには着手金や成功報酬、弁護士によっては形式的な資料作成毎に追加請求してくるような*目が¥*のような弁護士も珍しくない。社会的・経済的、あるいは情報的格差が著しく乖離していく現代において、そんな高額費用を誰もが払える訳がない。

詳細を言えば"訴訟救助"などといった支援制度もあるが十分とは言えないし、「今弁護士を必要としている」人が知っていなければ何の意味もない。法テラスに関しても、その実態は回数制銀のある無料相談かつ単なる肩代わり=借金制度だ。無料相談では具体的アドバイスや戦略をくれる訳でもないし、ネットに転がっているような情報ばかり。親身になって必死に相談に対応してくれるような誠実な弁護士もいるとは思うが、私は出会えなかった。
"利益追求の他人"に任せるぐらいなら自分でとことんやり合いたい。私は結局その考えに至り、本人訴訟を現在3件同時にやっている。(被告1件, 原告2件=R7.1.30現在)
嬉しいことに現代は、ネットやAIが劇的に進化した。無料弁護士やそこら辺の適当な弁護士に相談するより、ChatGPTなどに課金し高性能なAIモデルに相談した方が遥かに効率的かつ有益なアドバイスが得られる。勿論AIの言葉をそのまま信用してはいけないし注意点も山ほどある。だが、それは人間も同じこと。
本人訴訟で重要なのは、「情報を徹底的に調べて対抗出来るのか」「とことんやり合える覚悟があるのか」これに尽きると思う。加え、弁護士に依頼すると赤字になるのかの判断も重要だ。勝訴しても弁護士費用の方が高くつけば元も子もない。この判断基準は、完全にその弁護士の腕や事案の有利性に依存すると思う。普通の弁護士はまず、とことんやり合うよりも「無難」に解決を図りたがり、依頼者にとっても長期化は費用が嵩むだけだ。
弁護士も依頼を受理する前に必ず、訴状や主張の確認を行い、勝ち目があるかどうかで大まかな戦略や方向性を決め、そもそも勝ち目の少ない事案であれば依頼すら引き受けない弁護士も多い。ここで判断される「勝ち目」こそ、その弁護士の腕に完全依拠する。言葉を選ばずに言えば、その弁護士が役に立たない雑魚だった場合、例え高い弁護士費用を払っても相手側が有利になりやすく依頼者の求めた結果が得られるとも限らない。最悪の場合、裁判に敗訴+弁護士費用も取られる。みたいな事も十分にあり得る。
「弁護士が闘って負けたなら仕方がない」
「自分でやるよりは最善の結果」
そう現実を受け止められる人は弁護士に依頼すればいい。だがそんな結果に納得できそうにない、自分の言葉で真実を証明したい、正義を勝ち取りたい。そう思うなら、本人訴訟はやるだけの価値がある。最終的には弁護士費用と比較衡量し、あらゆる意味での覚悟が必要になる。
3. 被告になった時の対応
(1)前置きと信義則
交通事故で求償金を求められた、誰かを殴り慰謝料を求められた。被告は、刑事事件の「被告人」と混合されがちで、加害者であるイメージが強いと思う。起訴された側=訴えられた側としての立場は同じだが、必ずしも訴えられた側に非があるとは限らない。例えば、警察が証拠を捏造したり自白を強要する事で「冤罪」は生まれるし、原告が被告を陥れるために意図的に証言を偽証し証拠を偽造する事だってある。
上記交通事故の例で言えば、本当の加害者は原告(故意に事故を起こした)なのに、弁護士や保険会社と共謀し、本来被害者である被告を加害者に仕立て上げたりする事も。
傷害で言えば、例えば殴ったことは真実だが、原告も被告を殴っており、本来は喧嘩の部類であって一方にのみ責任を課すのが理不尽である場合でも、殴られた証拠は原告しか有しておらず、被告が殴られた事は立証出来ない場合、裁判所は証拠に基づいて原告に有利な判決を下すことになる。
日本の裁判は「信義則の原則」と言い、当事者は信義誠実に裁判に務める義務があるが、悪質な人間は信義則などドブに捨てている。つまりは平気で嘘をつき事実を捏造、自身に有利な証拠は偽造し、不利な証拠は隠蔽するなど、信義誠実に裁判を行う側が苦い思いを強いられる事も多々ある。被告だからといって悪いとは限らないが、不利な状態又は状況を捏造されやすいのは事実。
(2)真実の尊重
さて、前置きが長くなったが要するに、被告になった場合、あなたの罪の有無又は過失の程度によっても、対応が大きく左右される。あなたが一種「冤罪」に近いようなありもしない罪と責任を押し付けられた場合、徹底的に争うべきである。ましてやその加害者が社会的強者や経済的優位性の高い者であり、実質的な実力行使であるのなら尚更だ。
逆に、あなたが過失を認めている又は原告が真実のみを主張し、信義則を守っているのなら、あなたが取るべき行動は無責任な責任逃れではなく、潔く罪を認め折り合いの出来る範囲で責任を負うことかもしれない。もちろん感情論ではなく、法律的に違法かどうか、社会通念上の受任限度に照らす事なども前提ではある。だが、わざわざ司法を介して労力や時間を割いている原告を見れば、全くもって尊重に値しないとも言えず、原告の主張が真実である限り尊重すべきである。
(3)被告の具体的な対応
訴えられた場合、被告が取るべき対応は以下の通り。
①事実整理
まずは冷静に、訴状の内容を客観的に把握。なぜ訴えられたのか、請求や法的根拠は何か?
実際に過失はあるのか、どの程度あるのか?など、感情的にならず整理分析すること。
⬇︎ 答弁書の作成方法
②答弁書の作成
次に、裁判所が指定した答弁期日までに必ず、認否や反証をまとめた『答弁書』を作成し提出する事。何も提出せず放置すると、"欠席裁判" となり敗訴する可能性が極めて高くなる。
⬇︎ 欠席裁判とは?
③第一回口頭弁論
第一回口頭弁論は出頭した方がいいが、答弁書を提出していれば出頭しなくてもいい。
ここで初めて裁判官や原告代理人と対峙し、提出書面の確認や争点の絞り込みが行われる。
⬇︎ 有効な証拠の出し方
④第二回〜第〇〇回
状況や複雑性等によっても変動するが、審理は平均して少なくとも1年はかかる...。
⬇︎ 裁判が長期化する原因は?
⑤判決
証人尋問など全ての証拠が出揃い、双方主張も尽きれば、いよいよ判決だ。裁判官は提出された証拠や判例をもとに自由に判決を下す。
⬇︎ 自由心証主義

4. 原告として提訴する場合
原告として誰かを提訴する場合、その相手が自分の権利を侵害し、又は損害を発生させたなどの事実があれば、司法を通じて救済(損害賠償等)を求める事ができる。もっと言えばお金だけでなく、権利や土地、差止請求など、幅広く含まれる。
(1)原告の優位性
統計で見ると、弁護士VS本人(被告)なら91.2%で原告が勝つ。逆に本人(原告)VS弁護士なら勝率32.4%。やはり弁護士の存在で大差はあるが、裏を返せば、原告であれば3人に1人は本人訴訟でも弁護士に勝てる。この事実をどう捉えるかは自由だが、決して低くはない確率である。
(2)真実と法律
つまり、原告となるあなたが、被告行為の違法性や侵害・損害を立証できれば、弁護士に依頼せずとも大いに勝てる見込みがあるということ。もっと言えば、原告の請求が法的根拠を満たし、被告の行為が違法行為と明確であれば、負けることはないと言えるのではないだろうか?周到な準備、証拠収集、主張の構成など、しっかりと対策を練れば、例え相手が弁護士とはいえ、逃げ道を無くすことは大いに可能と言える。
(3)原告の具体的な行動
①事実整理
訴状に記載する内容を客観的に整理。なぜ訴えるのか、請求や法的根拠は何か?被告の故意や損害との因果関係なども説明。前提として、立証責任は原告側にある。
⬇︎ 立証責任
②訴状の作成
立証責任は原告側にあるという事は、証拠の有無や信憑性が直接的に勝敗を分ける。例えば、事故による慰謝料を請求したいなら医者が作成した診断書や通院履歴。損害賠償を請求したいなら防犯カメラ映像や目撃証言などがある。いかに客観的で強力な証拠を集められるか、それが重要だ。
⬇︎ 訴状の作成方法
③証拠説明書
証拠は『証拠説明書』という書面にまとめ提出しなければならない。これは被告も同様、証拠説明書にまとめ提出しなければ、証拠として認めてもらえないので注意だ。
⬇︎ 証拠説明書の作成方法
④第二回〜第〇〇回
状況や事案によっては、被告が有する文書を提出させたり、第三者機関への調査を裁判所へ要請するのも効果的かつ審理にとって貴重な過程と言える。
⬇︎ 文書提出命令申立書の作成方法
⬇︎ 調査嘱託申立書の作成方法
⬇︎ 文書送付嘱託申立書の作成方法
⑤判決
仮に原告が勝訴した場合でも、被告がすんなりと請求に応じるとは限らない。そんな時は、差し押さえる財物又は差し押さえを実行する口座等を特定し、強制執行の申立をしなければならない。
⬇︎ 強制執行の申立と財産の特定

5. 本人訴訟まとめ
簡潔にまとめると上記の通りだ。被告も原告もやる事は大差ないが、原告に弁護士がついた場合、被告で本人訴訟をやるとおよそ90%以上の確率で敗訴する事が統計で示されている。その中の10%になれる自信又は本人訴訟せざるを得ない何かしらの事情があるのであれば、ぜひ本人訴訟を選んでみてほしい。
自分の喧嘩は自分でやれ
裁判は喧嘩を超えた戦争にも近い紛争である。いわば『喧嘩以上戦争未満、といったところだ。自分の喧嘩を他人に任せる事が嫌なら、自分で喧嘩のやり方を学び、相手よりも強く勝てる方法を探せ。
本人訴訟はまさに「戦い」であり、場合によっては「戦争」とも言える非常に過酷な紛争解決手段だ。しかし、それは決して不可能な挑戦ではない。この記事を読んでいるあなたは、おそらく何らかの理由で本人訴訟を選択肢として考えていると思う。その選択は、経済的理由又は弁護士への不信感か、あるいは真実を自らの手で証明したいという強い意思によるものかもしれない。
その理由がなんであれ、現代司法において、本人訴訟を行うことは「時間」「根気」「覚悟」の全てを求められる厳しい道のりだが、それを乗り越えることで、自分の権利を自らの手で守り、真実を掴み取ることが可能だ。この記事が、その一助となることを願う
最後に、裁判はゲームやスポーツとは異なり、初めから公平なルールの下で行われるわけではない。しかし逆に言えば、あなた自身の努力や創意工夫次第で、圧倒的な不利を覆すこともできる。自分の戦いを他人に委ねるのではなく、自分自身でその戦いを制したいというあなたの覚悟に心から敬意を表すと共に、武運を祈る。
勝つための最強の武器は、諦めない心と徹底的な準備
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