たつき諒『私が見た未来』予言の真相|2025年大災難は当たる?信憑性と心理を徹底分析
- Renta
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更新日:3 日前
2011年3月11日の東日本大震災を正確に言い当てた!?かつて絶版となり、ネットオークションで10万円以上の値もついた「幻の予言漫画」、『私が見た未来』。その作者である**『たつき諒』**という名前を、あなたも耳にしたことがあるかもしれません。
22年の沈黙を破り、2021年に出版された『私が見た未来 完全版』は、累計90万部を超える大ベストセラーに。そして、そこに記された新たな、そしてさらに恐ろしい予言…「本当の大災難は2025年7月にやってくる」。果たして、これは未来からの確かな警告なのでしょうか?それとも、単なる偶然の一致か、あるいは巧妙に仕組まれた現代の「戦略」なのでしょうか?この記事では、謎多き漫画家**『たつき諒』**氏と、日本中を騒がせる彼女の「予言」について、
そもそも、たつき諒とは何者?予言の源「夢日記」とは?
伝説の始まり「3.11予言」は本当に"的中"したのか?
最大の注目「2025年7月 大災難」予言の全貌と解釈
なぜ私たちは「予言」にこれほど惹きつけられるのか?
鵜呑みは危険!冷静に見るための「批判的視点」
など、様々な角度から徹底的に深掘り考察します!あなたも一緒に、このミステリアスな現象の真相を探求してみませんか?
目次
ベールに包まれた漫画家『たつき諒』の素顔と夢日記
まず、この予言の主である『たつき諒』氏とは、どのような人物なのでしょうか?
プロフィール
1954年生まれ、横浜在住の女性漫画家。1975年に少女漫画誌でデビューし、ファンタジーやミステリー作品を発表。1999年に一度漫画家を引退しましたが、2021年の『私が見た未来 完全版』刊行と共に、22年ぶりに活動を再開しました。
予知夢体験?
彼女自身によると、漫画家デビューの頃から、見た夢が現実になるという体験(予知夢)を度々していたと語っています。特に、**夢を見た日付から「15日後」または「15年後」**に、その夢が現実になることが多い、という法則性があるのだとか。
予言のソース「夢日記」
1985年頃から、見た夢の内容を**『夢の記録』**と題したノートに、絵と文章で詳細に記録し続けていたそうです。これが、後に「予言」とされる内容の元ネタである、と『完全版』の中で明かされています。なぜ夢日記をつけ始めたのか、そのきっかけなども語られています。
長年の沈黙を破って再び表舞台に現れた彼女は、これから起こるかもしれない「大災難」への警告を発するために、『完全版』を出版したと述べています。
伝説の始まり「3.11予言」を徹底検証!
『たつき諒』の名前と『私が見た未来』が一躍有名になったきっかけは、間違いなく東日本大震災との関連性です。
衝撃の「証拠」?
1999年に出版された初版の単行本の表紙。そこに、**「大災害は2011年3月」という文字が、確かに印刷されていたのです!これは、震災発生の12年も前に出版された本であり、後から書き加えられたものではありません。この具体的な日付が記された「物的証拠」**の存在が、多くの人に衝撃を与え、「3.11を予言した漫画がある!」と、ネットを中心に大きな話題となりました。初版は絶版となっていたため、中古市場で10万円以上のプレミア価格がつく「幻の予言漫画」となったのです。(つまり、2025年7月に本当に大災難がやって来れば、自ずと完全版にもプレミアム価格がつく可能性が高く、一種の投資としても購入されているというわけです。)
しかし…作者による「解釈変更」という謎
この「3.11予言」には、不可解な点も残ります。2021年に出版された『完全版』の中で、たつき諒氏は漫画本編に描かれている大津波のシーンは、実は2011年3月のことではなく、これから起こる(と彼女が見た)2025年7月の出来事を描いたものだ、と説明しているのです。これは、多くの人が信じていた「表紙の文字(2011年3月)と漫画の津波がセットで3.11を予言した」という解釈とは異なります。では、表紙の文字は何だったのか?漫画の津波と表紙の文字は元々別々の予知夢だったのか?それとも…?作者自身の説明によって、かえって解釈の曖昧さが生まれているのです。
検証の限界
表紙の文字が事前に印刷されていた事実は動かせません。しかし、それが本当に「予知夢」に基づいていたのか、いつ、どのような経緯でデザインされたのか、元となった夢日記の記録は存在するのか…といった点を、客観的に検証する手段は乏しいのが現状です。
「3.11予言」は、たつき諒氏の名を一躍有名にした最大の要因ですが、その「的中」の解釈や根拠には、依然として多くの疑問符が付いていると言えるでしょう。
迫るXデー「2025年7月 大災難」予言の詳細と深読み
今、最も注目を集め、多くの人々を不安にさせているのが、この**「2025年7月」**の予言です。
夢で見た光景とは?
たつき諒氏が1991年7月5日に見たとされる夢。それは、日本とフィリピンの中間あたりの海底が「ボコッ」と音を立てて破裂(または噴火)し、それによって発生した巨大な津波が太平洋全体に広がり、日本の太平洋沿岸の広範囲(国土の1/3~1/4とも)が、東日本大震災の時を遥かに超える(3倍とも言われる)高さの津波に飲み込まれる…という、恐ろしい内容です。
なぜ「7月5日午前4時18分」?
『完全版』の中で、著者は自身の予知夢が「夢を見た日付の15日後or15年後」に現実になるパターンが多いと述べています。1991年7月5日に見た夢であることから、15年周期の法則を適用し(1991+15+15=2021年は過ぎたため、さらに15年後、あるいは別の法則から?)、**「2025年7月5日」**という具体的な日付が導き出され、広まっています。時刻(午前4時18分)についても、夢日記の記述などから特定されたとされています。(※ただし、これらはあくまで読者や研究者による解釈も含まれます)
南海トラフ巨大地震?富士山噴火も?
この海底破裂と巨大津波が、かねてから警戒されている**「南海トラフ巨大地震」と関連するのではないか、という指摘も多くなされています。さらに、たつき氏は富士山の噴火に関する夢(1991年8月20日)も見ており、これが2025年の大災難と同時期、あるいは連動して起こる可能性**も示唆しています。
「大災害」ではなく「大災難」の意味
著者がこの出来事を単なる「災害」ではなく**「災難」**と表現している点も注目されています。「災難」は、自然現象だけでなく、人為的な要因やより広範な不幸・苦難を含む言葉です。これは、単なる津波被害に留まらない、複合的で深刻な影響(例えば、経済的混乱、社会インフラの麻痺、国際的な影響など)を暗示しているのではないか、とも解釈されています。
希望のメッセージも
ただし、著者はこの「大災難」の後には、「輝かしい未来」「新しい世界」が訪れるとも語っており、単なる終末論ではない、希望のメッセージも添えられています。
この「2025年7月」予言は、その具体性とスケールの大きさから、多くの人々に強いインパクトを与え、防災への意識を高めるきっかけにもなっています。しかし、その根拠とされる「夢日記」の解釈や法則性には、依然として不明確な点も多く残されています。
予言の信憑性を考える(ダイアナ妃やコロナetc.)
『私が見た未来 完全版』では、3.11や2025年以外にも、たつき諒氏が見たとされる様々な予知夢が紹介されています。
フレディ・マーキュリーの死(1991年)
1981年に見た夢として。病気による死とその後の映画化を示唆?
ダイアナ妃の死(1997年)
1992年8月31日に見た夢として。日付の一致が指摘される。
新型コロナウイルスのパンデミック(2020年~)
1995年に見た夢として。「未知のウイルス」の出現と、10年後の再来を示唆?
これらの事例は、「たつき諒の予言は当たる!」という印象を強める材料として語られることがあります。しかし、ここでも冷静な検証が必要です。 これらの予言とされるものの多くは、『完全版』(2021年刊行)で初めて詳細が明かされたものがほとんどです。つまり、フレディやダイアナ妃が亡くなった後、あるいはコロナがパンデミックになった後に、「実はこんな夢を見ていました」と語られているケースが多いのです。
出来事が起こる前に具体的な内容が記録され、第三者が確認できる形で公表されていた、という客観的な証拠は、残念ながらほとんどありません。「夢日記」そのものも、原本が公開・検証されているわけではありません。
人間の記憶は曖昧で、後から出来事に合わせて夢の内容を解釈したり、無意識に脚色したりしてしまう可能性(後知恵バイアス)は常にあります。「15日後or15年後ルール」も、全ての事例に当てはまるわけではないようです。したがって、これらの「的中例」とされるものについても、その信憑性を客観的に証明することは非常に難しい、と言わざるを得ません。

なぜ人間は「予言」に惹きつけられるのか?その心理と社会背景
予言の信憑性はさておき、なぜ私たちはこれほどまでに「未来の出来事」を知りたい、あるいは信じたいと感じるのでしょうか?そこには、人間の普遍的な心理と、現代社会特有の状況が関係しているようです。
先の見えない「不安」な時代だから余計に
自然災害、経済不安、国際紛争、パンデミック… 私たちは今、非常に不確実で、コントロールできないことが多い時代を生きています。そんな漠然とした不安の中で、たとえ恐ろしい内容であっても、「いつ、何が起こるか」が示される予言は、**一種の「心の拠り所」や「未来への地図」**のように感じられ、安心感を与えてくれるのかもしれません。
「何か特別なことが起こるはず」と脳が期待する?
人間の脳は、ランダムな出来事の中にも、つい意味やパターンを見出そうとする性質(パターニシティ)があると言われます。また、自分が信じたい情報ばかりを集めてしまう(確証バイアス)、出来事が起きてから「やっぱり!」と思い込む(後知恵バイアス)といった、**認知の偏り(バイアス)**も、予言を信じやすくさせる要因です。
メディアとSNSが「話題」を増幅させる
たつき諒氏の予言がここまで広まった背景には、テレビやYouTube、SNSといったメディアの力が大きいことは間違いありません。「幻の予言漫画」「3.11を的中!」といったセンセーショナルな見出しと共に繰り返し報道・拡散されることで、「これは何か特別な情報に違いない」と感じる人が増え、社会現象化していったのです。
「備えたい」という切実な思い
特に日本は災害大国。多くの人が、過去の災害の経験から、**「備えあれば憂いなし」**という意識を強く持っています。たつき諒氏の予言を、**防災意識を高め、具体的な準備を進めるための「きっかけ」や「動機付け」**として捉えている人も多いようです。これは、予言の真偽とは別の、非常に現実的で重要な側面と言えるでしょう。
冷静な目も必要!批判的・懐疑的な視点からの分析
多くの人々を惹きつける一方で、たつき諒氏の予言には、批判的・懐疑的な視点も向けられています。
「夢」という根拠の曖昧さ
予言の根拠とされるのは、あくまで著者個人の「夢」とその解釈です。夢の内容は主観的で非常に曖昧なもの。それを特定の未来の出来事と結びつけるプロセスには、後付けやこじつけが入る余地があります。
検証不可能な「夢日記」
予言の証拠とされる「夢日記」ですが、その原本が、日付も含めて改ざんなく記録されたものであることを、第三者が客観的に検証する手段はありません。記憶違いや、後からの加筆・修正の可能性も否定できません。
商業的な成功という側面
『私が見た未来 完全版』がミリオンセラーに近い大ヒットとなった事実は無視できません。3.11予言の「伝説」と、新たな「2025年大災難」という衝撃的な予言を組み合わせた出版戦略が、商業的に極めて成功したことは明らかです。予言の内容と出版のタイミングに、商業的な意図が全くなかったと言い切れるでしょうか?
「都市伝説」としての性質
この現象は、まさに**現代の「都市伝説」**が生まれて広まっていくプロセスそのものとも言えます。最初は一部で囁かれていた話が、ネットやメディアを通じて増幅され、多くの人が「事実」として認識していく…。
「外れてもOK」な構造?
特に「2025年7月」の予言は、まだ起きていない未来のことです。もし何も起こらなくても、「祈りによって回避された」「日付が少しずれただけ」「『大災難』は別の形で起きた(経済危機など)」といった再解釈が可能であり、「予言が完全に外れた」と証明されにくい構造を持っています。これも、予言が生き残りやすい理由の一つです。
歴史は繰り返す?ノストラダムスと現代の予言現象
たつき諒氏の予言現象は、歴史上の有名な予言者、例えばノストラダムスと比較してみると、興味深い共通点と、現代ならではの違いが見えてきます。
共通点
予言の曖昧さ:ノストラダムスの四行詩も、たつき氏の夢日記も、具体的でありながら解釈の幅が広い表現を含んでいます。
後付け解釈:どちらも、歴史的な大事件が起こった後に、「これが予言されていたことだ!」と解釈されることで、「的中した」とされてきました。
カリスマ性:予言者自身やその「秘密の書」とされるものに、神秘的な権威が付与されやすい点。
時代を超えた関心:人々が未来への不安や好奇心から、繰り返し予言に関心を寄せるというパターン。
現代ならではの違い
視覚的インパクト:たつき諒氏の場合、「漫画の表紙に書かれた日付」という**視覚的で分かりやすい「証拠」**が、初期の拡散に大きく貢献しました。これは文字中心だったノストラダムスとは異なります。
SNSによる爆発的拡散:インターネット、特にSNSやYouTubeによって、情報が瞬時に、かつ広範囲に拡散されるスピードと規模は、現代特有の現象です。
予言そのものの構造は昔から変わらなくても、その広まり方や影響力は、メディア環境の変化によって大きく変わってきていると言えるでしょう。
『たつき諒』予言とどう向き合うべきか?未来への備えと情報の見極め
『たつき諒』氏と、彼女の漫画『私が見た未来』が投げかける「予言」。その真偽を、現時点で私たちが確実に知ることはできません。3.11を「予言した」とされる根拠には曖昧さも残り、2025年7月に「大災難」が本当に来るのかどうかも、その時になってみなければ誰にも分かりません。しかし、この一連の現象から私たちが学ぶべきことは、**「予言が当たるか外れるか」**という点だけではないはずです。
防災意識への貢献
この予言をきっかけに、多くの人が自然災害への備えを見直し、具体的な行動を起こしているという事実は、予言の真偽とは別に、社会的に有益な側面と言えるかもしれません。
情報リテラシーの重要性
なぜ人は予言を信じるのか?メディアやSNSの情報はどこまで信頼できるのか?曖昧な情報や商業的な意図に**振り回されず、冷静に物事を見極める力(情報リテラシー)**を、私たちは身につける必要があります。
未来への向き合い方
予言に怯えてただ不安になるのではなく、それを**「未来について考え、備えるきっかけ」**として捉え、今を大切に生きること。そして、科学的な知見に基づいた現実的な備え(地震対策、避難計画など)を着実に進めること。それこそが、不確実な未来に対する、最も賢明な向き合い方ではないでしょうか。
『たつき諒』氏の予言が、未来からの警告なのか、単なる偶然や思い込みなのか、あるいは商業的な戦略なのか… その答えは、簡単には出ません。大切なのは、情報を鵜呑みにせず、様々な角度から物事を考え、最終的には自分自身の頭で判断すること。 そして、どんな未来が来ようとも、冷静に対応できる「心の備え」と「現実の備え」をしておくこと。
信じるか信じないかは、あなた次第。しかし、この社会現象をきっかけに、未来への備えと情報との向き合い方について、改めて考えてみる価値は、大いにあるはずです。
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